
人生は他責にするな。
自責で生きろ。
いきなり強い言葉ですが、僕は本気でそう思っています。
誰かのせいにして、人生は動いたか
世の中を見ていると、誰かのせいにして止まっている人が多すぎます。
夫が何もしてくれない。
妻がわかってくれない。
上司が悪い。
部下が動かない。
会社が悪い。
環境が悪い。
もちろん、本当に相手が悪いこともあります。
理不尽なこともあります。
全部自分が悪いなんて話ではありません。
でも、それを言って人生は動きましたか。
夫も妻も、それぞれやれることがある
たとえば夫。
妻が困っているときに、「自分には何ができるか」を本気で考えたことがありますか。
家事をやっているつもり。
仕事で疲れている。
言われたらやる。
それで本当に家庭が良くなるのか、という話です。
逆に妻。
夫が何もしないと嘆いているだけになっていませんか。
「なんでわかってくれないの」と思う気持ちはわかります。
でも、伝え方を変えたのか。
期待値を合わせたのか。
相手が動きやすい形にしたのか。
これは、どっちが悪いかを決める話ではありません。
夫が悪い。
妻が悪い。
上司が悪い。
部下が悪い。
そんな裁判をしても、現実は1ミリも変わりません。
自責は、自分を責めることではない
大事なのは、問題が起きたときに「自分には何ができるか」を考えることです。
これが自責です。
自責は、自分を責めることではありません。
「自分が全部悪い」と背負い込むことでもありません。
自分を責める人は、「自分はダメだ」で止まります。
改善しません。
それはただの自己否定です。
自責で生きる人は違います。
「自分にも何かできるかもしれない」
そう考えて、次の一手を探します。
職場でも、責任の押し付け合いが多すぎる
仕事でも同じです。
「あれは上司が言ったからやりました」
「部下が動かないから成果が出ません」
「あの人の仕事だから僕は知りません」
こういう言葉が多すぎます。
でも、本当にそれでいいのか。
上司の指示が曖昧なら、確認すればいい。
部下が動かないなら、伝え方を変えればいい。
誰かの仕事だと思うなら、せめて一言声をかければいい。
相手を変えることはできません。
でも、自分の行動は変えられます。
馬を水辺に連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない。
まさにこれです。
相手が飲むかどうかは相手の問題です。
でも、水辺に連れていく努力まで放棄するな、という話です。
嘆くだけなら誰でもできます。
責任を押し付けるだけなら簡単です。
でも、それでは人生は何も動きません。
問題が起きたら、まず考える。
「自分には何ができるか」
これだけでいいです。
人生を変える起点は、いつもそこにあります。
相手が変わる前提で考えるな
ここで勘違いしてほしくないのは、相手に何も求めるなという話ではないことです。
夫婦なら、ちゃんと話し合えばいい。
仕事なら、役割分担を明確にすればいい。
上司がおかしいなら、違和感を伝えればいい。
部下が困っているなら、助ければいい。
でも、その前にやることがあります。
相手が変わる前提で考えるな、ということです。
夫が変わってくれたら。
妻が察してくれたら。
上司が優秀だったら。
部下が自走してくれたら。
会社がもっとまともだったら。
その気持ちはわかります。
でも、そこに人生を預けるな。
相手が変わるかどうかは、相手の領域です。
自分ではコントロールできません。
だから、自分の領域に戻る。
自分は何を伝えるのか。
自分は何を確認するのか。
自分はどんな行動を変えるのか。
自分はどこまでやって、どこから先は手放すのか。
これを考える。
自責で生きるというのは、こういうことです。
自分を責めることではない。
相手を許し続けることでもない。
理不尽を我慢することでもない。
自分が動かせるものを、最後まで見捨てないことです。
他責で生きる方が楽。でも人生は動かない
正直、他責で生きる方が楽です。
文句を言っていれば、自分は傷つかない。
誰かのせいにしていれば、自分は変わらなくていい。
環境のせいにしていれば、挑戦しなくていい。
でも、その楽さには代償があります。
人生が動かない。
これです。
人生を動かしたいなら、まず問いを変えるしかありません。
「誰が悪いのか」ではなく、
「自分には何ができるのか」。
この問いを持てる人だけが、次の一手を出せます。
そして、次の一手を出せる人だけが、現実を少しずつ変えていけます。